
ある日、今は亡き私の父が、私が何か学校で失敗して嫌な想いをしたときに、ふと言った言葉があります。それが
「禍福は糾える縄のごとしだな」
です。
まだ小学生だった私は、その意味は分からなかったのですが、良い意味で言っているということが何となく伝わって、そんな父に対してありがたい気持ちになったことを覚えています。
そんな思い出のある言葉、「禍福は糾える縄のごとし」の意味と由来を解説してみました。

由来は中国の書物
『史記』南越列伝
からです。
禍(わざわい)によりて福となす。成敗(せいはい)の転ずること、たとえば糾える(あざなえる)墨(ぼく:墨縄(すみなわ)のことです)のごとし。
という一文です。
意味は
禍(わざわい)と福(しあわせ)は縄を作るようなもの。藁(わら)を因る(よる)ように幸せと不幸せは交互に訪れる
ということです。
「墨(ぼく)」という言葉が分かりやすい、「縄」になって日本のことわざになったのですね。
縄は昔は、収穫を終えた後の稲の藁から作りました。
動画も入れてみたので、ご覧ください。
藁から使える部分を取り出すところから始まって、起用にリズムよく縄が作られていきますね!!
この縄を作っていくことを「因る(よる)」といい、絡ませるようにして交え合わせる動作を「糾う(あざなう)」と言います。
縄を因って作っていく動作は、観ているだけで不思議で面白いです。

どんな場面で使う言葉なのでしょうか。
たとえば、私が父に言われた時のように、何をやってもうまくいかない時などは今でもあり、自分で自分に言ってみます。
「禍福は糾える縄のごとし」
どんなに辛いことがあっても、この動画のように二つの縄が交互に絡み合って大きな縄が出来上がるように、いつか良いことが訪れて、人生という大きな縄が出来上がっていくんだなぁと感じます。
実際に、嫌だなぁと思うことがあっても、しばらくすると良いことが起きたりしますね。
でも、何か嫌な事があって落ち込んでいる人に「禍福は糾える縄のごとしだよ」という声かけをするのは、励ます言葉にはならないのであしからず。
私の父は身内だったからこそ、この言葉を出してくれたのだと思います。
自分で体験して、初めて実感できる言葉で、そのことを父も私に伝えたかったのだと思います。

この「禍福は糾える縄のごとし」ですが、私が父に言ってくれたように、私も自分の子どもに伝えたいと思う言葉でもあります。
嫌な事、辛いこと、人生にはたくさんあると思いますが、楽しいこと、幸せなことと交互に訪れるその人生の不思議を信じて、これから先も人生を歩んでほしい、また自分も歩いていこうと思います。
その思いを子どもたちにも分かってもらえたら嬉しいですね。
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