ホッパーの良さを語りたい!5分で分かるエドワード・ホッパーの絵の魅力❣❣

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アメリカを描いた画家エドワード・ホッパー





『ナイトホークス』という絵をご存知ですか?



描いたのはエドワード・ホッパーというアメリカの画家です。



一目見たら忘れられない絵です。



ただ何の変哲もない、アメリカの夜のレストランを描いただけのこの絵。

なのに、ものすごく見る人の印象に残ります。そして、もう一度細しっかり見たくなってしまうのでした。



実はエドワード・ホッパーの絵はこのように、何かがある、だから見たくなる、そんな気持ちにさせてくれる絵が多くあります。



私も「ナイトホッパー」をきっかけにして、彼の絵の虜になってしまいました。

どうしてそんな気持ちになるのか、不思議ですね。

彼の絵の魅力に迫ってみました。


アメリカ生まれのエドワード・ホッパー





エドワード・ホッパーは1882年、アメリカN.Yの北、約64㎞ほどのところにあるナイアックという町で生まれました。



短期間のイラストレーターの養成所に通い、18歳になった1900年から7年間、N.Yの美術学校に通っています。そして、1906年の10月から翌年の8月までと、1909年、1910年と短期間、パリに滞在。



その間に彼は、パリの印象派の画家たちから、光のインスピレーションを与えられ、衝撃を受けました。



また、パリの他にアムステルダム、ロンドン、ブリュッセル、ベルリン、マドリード、トレドに足を延ばして、レンブラントやフェルメールなどの巨匠から学びました。



パリに滞在していた時のホッパーに関して興味深いところは、当時のパリで頭角を現し始めていたピカソの名前を、ホッパーは全く聞いたことがないと発言しているところです。



むしろ、より心が惹かれたのはモネでありセザンヌでした。



そうして、パリの空気と光と、ヨーロッパの巨匠たちの絵からあらゆることを学んで、ホッパーはN.Yで再び生き始めます。


イラストレーター、水彩画家としての成功





画家として生計を立てて生きていくということは、現代においても相当大変な目標です。

ホッパーの時代では特に、芸術の最先端はパリでした。

油彩画家としてアメリカで成功するのはさらに難しく、絵は中々売れませんでした。



実は、最初のパリを始めとするヨーロッパに滞在旅行をする前、ホッパーはイラストレーターとしての職を得ていました



そして、ヨーロッパとアメリカを行き来する間も、商業美術の仕事は継続していました。

このような商業美術、雑誌の表紙や本の挿絵の仕事は、1925年まで生活の糧をえるために続けられたのでした。



この前年の1924年に、画家仲間でありのちに沢山の彼の作品のモデルを務めることになる、ジョセフィン・ヴァースティル・二ヴィソンと結婚しています。



ちょうどイラストレーターなどの仕事を辞めてから、ジョセフィンと二人でコロラドからニューメキシコにかけて旅行へ出かけています。

絵を描くという仕事から離れて、二人きりの旅行をしたのでした。



ホッパーは、イラストレーションや商業美術の仕事について多くは語っていませんが、本意ではなかったことは確かです。

描きたいものを描くことができない仕事なのですから、あまり語ることがないのも当然かと思いますが、この「生活のために」行っていた仕事が後に、ホッパーの絵の魅力を引き出すことにつながっていきました。



雑誌編集者から依頼を受けていた仕事(雑誌の挿絵や表紙の絵)は、「読者に呼びかけるために描かれる絵」で、一目でメッセージが伝わる主題がはっきりとよく分かるもの、でした。



例えば、ギターに関する雑誌の表紙に、ギターの写真が使われるのみたいな発想です。



そんな編集者のリクエストに応えるような雑誌の表紙をホッパーは描くことができて、またその出来栄えは狙い通り、絵を観た読者を虜にしました。


見えないところでさえも、見る者の心を捉える絵





人の心を魅了する絵を狙い通りに描くことができたホッパーは、本格的に絵画に取り組むようになってからは描きたいものを描けるようになりました。



特に、今まで前面に押し出していた「見ればわかるメッセージ」を、あえて描かず、むしろ見る人達に様々なことを想像させるような、そんな絵になっていきました。



編集者の希望通りの、見る人にすぐわかるようにメッセージを載せた絵が描けたからこそ、その逆もできるということですね。



冒頭でご紹介した「ナイトホークス」も、とても想像力を掻き立てる絵です。



カウンターに座っている男女は恋人同士なのか、手前に一人で座っている男性は誰かを待っているのか、それとも一人でふらっと立ち寄っただけなのか、カウンターの中にいる従業員は、誰かに話しかけている様子、何の話を誰にしているのか、この絵は何時ころの設定なのか、明け方名なのか真夜中なのか、などなど・・・。



また、パリ滞在中に感性が磨かれた「光」に対しても、ホッパーの絵では様々な形で表現されています。



ホッパーの生きた時代のN.Yは、世界の中心都市として急成長をしていたころです。

街中に高層ビルが建てられていき、カフェやレストランなど新しいサービスを提供するお店も次々作られていきました。



そんな時代を生きた人たちを町の中で照らし出したのが、ホッパーが描いた街の光でした。



「ナイトホークス」でも店内は明るい光で満ちていますが、一歩外へ目を向けるとうっそうとした暗闇が支配しています。



光を描くとともに、相反する影も描いたのがホッパー、その暗闇の先には何が待っているのかまたまた想像力が刺激されますね。



絵画の画面の中には納まりきらず、その外にその先に何かがあるような予感がする、それがホッパーの絵画の最大の魅力です。


ただただ、そこで生きる人々を描いた





ホッパーはまた「アメリカの孤独を描いた画家」とも言われていますが、それは意図的ではありませんでした。

アメリカで生活している、その運命を受け入れて生きる、普通の人々を描いただけでした。

日々の仕事をして、毎日の生活を受け入れて生活する人々です。



またホッパーの絵では、子どもが描かれることはありませんでした。

人々が自分と向き合う時間、その瞬間を描きたかったからだと思います。



描かれた女性のモデルを妻のジョセフィンがしているというところも、ホッパー自身がまさに、当時のアメリカで彼女と一緒に生きていたという証として、描きたくて描いたのだと思います。

自分自身が生きているという瞬間も、絵画の中で同時に描いていたのですね。



ホッパーというフィルターを通して、たくさんのアメリカの人々が生きている自分自身と向き合えた

そのことが魅力となって、観ている人の一人一人の心に迫って来る絵になっているのでした。


もう一度、何度でも、そして今を





もう一度、ホッパーの絵を見てみてください。

そこに描かれている男性や女性は、自分のそばにいる誰かと同じ。自分と同じ。



ひょっとしたら、気づけなかった自分自身を見つけられるかもしれないですよ。



そうして、画面の外に広がる世界で、また毎日を生きていく。

ホッパーの絵と向き合うことで私は、将来に対する不安や思い、切なさや悲しみ、時折訪れる幸せな気持ち、大切なものをすべて抱えて明日も生きていける!と感じます。



晩年のホッパーは、建物に当たる陽の光を描くことに、重きを置いた作品を多く描いています。

様々な人たちの生きる姿を描いた彼だからこそ、晩年に描かれた陽の光に心の穏やかさを見出せると思うのは、私だけでしょうか。



皆さんもぜひ、体感してみてください❣❣



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