一休さんのとんち話

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一休宗純和尚について語ります
こんばんわです。



昨年より、このブログを開設しましたが、色々やっていくうちにどんなブログにしたいか、お陰様で段々と構想がまとまってきました( ˘ω˘ )



思いつくままに色々書いてきましたが、やはり育てをしている母として、いつか子どもたちに読んでもらいたいブログにしていこうと思ってます。



なので、内容としては子どもが将来大きくなったときに、お母さんから伝える幅広い知識だったり、知恵だったり、またお母さんの思いを伝えたりする内容の、記事にしていこうと思いました。



中には「この内容の記事がこのカテゴリーに分類されるの?!」と思ってしまうことがあるかもしれませんが、ご了承くださいませ<m(__)m>



本日は、私の大好きな「一休さん」について語りたいと思います。

私の中で一休さんは「歴史上の人物の中でもっとも尊敬する」、でも「お正月に皆がビックリな行動を取った、お騒がせ一休宗純和尚」なのでした(^_^;)
冥途の旅の一里塚
奇抜な発想と、とんちに富んだ行動で有名な一休和尚。
お正月のめでたい時に、骸骨を杖につけてこんな歌を詠みながら村を練り歩いたそうです。



「正月は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」



この逸話、諸説あって「正月」が「元日」になったり「門松」になったりしてます。



私は個人的には「門松」と表現する方が好きなのですが、分かりやすいのは「正月」でしょうか。



「ご用心、ご用心!」

「このとおり、このとおり!」

と声をあげてアピール!



何がこの通りなのかというと、いずれ皆こんなんになっちゃうよ~!だから、お正月が来たと言って喜んでばかりもいられない、またお正月がきて一つ歳をとり、あの世に近づいてるよ~!という比喩的な表現かと思いきや。



一休和尚にしてみたら殿様も農民も武士も皆同じ、今どんなに争っても、国が乱れても、行きつくところはこのしゃれこうべ。



しゃれこうべにまで行きつけば、何も争う理由もなくなり、めでたいかな、めでたいかな。お正月にもってこいの代物と、村の皆に言って回ったそうです。

素晴らしい発想!!



まだまだある一休宗純和尚の逸話
一休和尚の修行先は、禅寺でした。

このような発想は、禅寺で修行する中で培ってきたものではありましたが、もともと一休和尚が持ち合わせていた聡明な頭脳が、禅寺での禅問答と相まって磨きがけられ、今日に残るような逸話の数々を生み出したのでした。



もう一つ有名な話が「屏風の虎」ですね。

小さい頃に見たアニメは、一休の機知に富んだ将軍様とのやり取りに、あっけにとられてしまった思い出がありますが、その一休にとんちを挑んだ将軍こそ、足利家三代目の将軍、足利義満でした。



ある日、将軍義満は、頭のいい小坊主がいるという噂を聞きつけて、幼い一休を将軍家へ呼び寄せました。



屏風の中に住む虎が夜な夜な出歩いて困る、何とかとらえてほしい、とい無理難題を突きつけます。



一休は「分かりました」と即答。

どうとらえるのか見守っていると・・・



「とらえますのでまず、この虎を屏風から出してもらえますか?」という返しでした。



あっぱれ!!一休さん(●^o^●)



このようなとんち話に、枚挙にいとまがない一休さんなのですが、そんな頭の良さを振りかざすことなく、沢山の人の相談にのったのも一休和尚。

とんちの陰に隠れている一休和尚の人となりに、私はとても人間的な魅力を感ます。



では、一休和尚のその人となりを育んできた環境は、いったいどんなものだったのでしょうか?


一休さんも人間・・・
一休さんは、お寺で修行をしてこのような機知に富んだ説法ができるようになりました。

しかしながら、生来の頭の良さももちろん、一因としてあります。



こちらも有名な話で、実は一休さんは時の天皇、後小松天皇がお父さんなのです。

側室だった伊予局との間に生まれた男の子。

でも、伊予局は南朝と通じていて、天皇を暗殺しようと企てているというデマを流され、宮廷を追われてしまいました。



そんなお母さん伊予局は、一休さんに対して思う気持ちは人一倍。

立派な子に育てなくてはという思いと深い愛情で、一休少年はスクスクと聡明に成長します。そして、6歳でお坊さんになるために、お寺の修行に出されてしまうのでした・・・。
 
でも、まだまだ小さい子供だった一休さんは、修行の合間でお母さんに会いに帰っていました。

これはもちろん、天皇のお子ということからくる特別待遇で、誰もがそうだったわけで無いです。



時々お母さんに会っては、愛情を確認して、また辛い修行に戻っていたのですね。

6歳、7歳の子どもなんて、お母さんがすべてで当たり前。

でもお母さんが立派に育つよう、教えるとその言葉を守るために我慢して、お寺の修行にまた戻っていったのでした。



真面目ですね。すごい!!



その後も修行に励んだ一休さん、教えを乞い、師と仰いだお寺の住職が亡くなったときは、ものすごく虚無の心を覚えました。



修行に何の意味があるか、このまま生きていて何になろうか、全てを無くしてしまうことで、迷いのない自分になれるのではないだろうか、そう思い自殺しそうになった一休さんを、やはりお母さんが助けてくれます。



師が教えてくれたことを無にするのかと。



達磨大使やお釈迦様でさえ、何年もかけて悲しみや苦しみを乗り越えて、悟りの境地に達したのだと。



悟りとはそのように簡単なものではない、これからが本当の己の修行の道であることを、一休さんのお母さんは話して聴かせました。



そうして、一休さんはまた本当の悟りを求めて、人生という旅に出ることができたのです。
お母さんの力って、本当にすごい!!
ここからが一休さん、人生の充実期!!
慕っている師匠が亡くなってしまうなんて、どんなにか気落ちしてしまったことでしょうね。もし自分が同じ立場だったら、20代の頃の自分では立ち直れないかもしれない、と思ってしまいます。

そんなところにも、人間一休の一面を観ることができるなぁと、思ったりします。



師匠が亡くなってその後の一休さんは、前向きに人生を歩みます。沢山のお寺をめぐり「この人なら!!」と思うお坊さんを探して、弟子にしてもらい修行を続けていきました。



とんちを掛け合う友達もできて、修行も順調で、きっとなんとも充実した人生だったと思います。



とんちを掛け合う友人の名は、京都の寺社奉行を生業としていた蜷川新左エ門さん。頭もいいし、武術にも優れた蜷川さんは、一休さんと会話を楽しむくらいの頭脳明晰なエリート。



二人は旅行に行くほど、仲が良くなりました。



一休さん、本当に順風満帆な人生なのが分かりますよね。

私たちの生き方にもつながるような、そんな充実した人生の側面をみることができると思います。

仕事も順調、親しい友達もいて名声も上がってきて・・・。



またその説法も、どんどんレベルが上がって、今の社会でも役に立ちそうな逸話がいっぱいです💗

一休さんのすごいところ
ところで余談なのですが、私が一休宗純和尚の話を記事にしようと思ったちょっと前に、子どもたちの冬休みになったのですが、その際に上の子が学校の図書室から本を借りて読んでいました。宿題です。

何の本を読んだのか、知ってビックリ「一休」という伝記でした。



親子で好みが似ています(笑)



一休さんの「一休」という名前は、師の和尚様から頂いた名前です。



一休さんが修行の末、悟りを開かれたときに和尚様に歌った歌からきています。



「有漏路(うろじ)より 無漏路(むろじ)に帰る 一休み
雨ふらばふれ 風ふかばふけ」



有漏自路とはこの世のこと、無漏路とはあの世のこと。

今生きているところは、この世からあの世へ行く道中の茶屋で一休みしているようなもの。

ほんのつかの間のことだから、どんなに雨が降ろうとも、風が吹こうとも、立ち向かっていこう。



そのような意味の歌でした。



その「一休み」から一休さんの名前は付けられたのです。



しかも、その後の一休さんがまたすごい!!



師から悟りを開いたという証明書「印証」をもらったのですが、それを火の中へ捨ててしまったのです。

本当の悟りは「印証」ではない、形ではないということを言ったそうです。
私が好きな一休さんの逸話
もう一つ、一休さんらしいお話があります。



ある日、一休さんが汚い身なりをしてお布施をもらいに歩いていました。
あるお金持ちの家に着くと、そこではご先祖様の忌日にあたり、沢山のお坊さんたちにお布施をあげていたので、一休さんも並びました。

その家では、一休さんをただの汚い坊主と思い、一枚の紙と半銭を渡しただけでした。



その後、その家で法事があったときに、もう一度一休さんはお布施をもらいに訪れました。今度は立派な衣を着て。

するとその家の主は、一休さんを丁重にもてなしました。

ご馳走をふるまい、最上級のもてなしです。



すると一休さん、自分の衣を脱いでご馳走の前に置き、自分ではご馳走を口にしませんでした。

不思議に思った家主が一休さんに尋ねると

「以前破けた衣を着て伺ったときは、紙一枚と半銭を頂きました。今はこのようにご馳走を頂いております。それもこれも、この衣お陰と思い衣にご馳走を食べさせているのです」

という答え。



家主は平謝りしたそうです。



何とも、すがすがしい、というかスカッとするお話ですね❣



そんな頭の良かった一休さんも、実は「一本取られた!」的な出来事ももちろんありました。私はこの逸話が一番好きです❣



ある雪の降る日、雪景色を見に寺から散歩に出かけた一休さん。

河原に辿り着くと、特に景色が美しかったので立ち止まって見ていると、遠くから破れた着物を着て、震えながら歩いてくる男の姿が見えました。



一休さんは自分がきちんとした着物を着ていることが、少々気がかりになり、上に着ていた着物を脱いで、その男に与えたそうです。



でも、その着物をもらった男はお礼も言わず行き去ろうとしたので、一休さんは不思議に思い聞きました。



「着物をもらって、嬉しくはないのか」



するとこう、返事しました。



「あなたは、この着物を私にくれて、嬉しくはないのか」



一休さんは一本取られた!!と思ったのでした。自分にとって大事なものを、その男は教えてくれたのです。一休さんはありがたいと思いました。

負けることから得られる喜びがあり、私にとってものすごく心に残る逸話です。






魚や肉も食べて、男性として女性に愛情も注ぎ、人としての苦悩も味わって生きていった一休さん。

自分の人生の中から、悟りを開いて生きていった一休さん。

人が人として懸命に生きることを、何よりも尊んだ一休さん。

戦乱や天災が続く世の中で、一休さんは京都府にある小さな村、薪村の庵室で、戦場を避けて生活するようになります。



そんな一休宗純和尚は、薪村の酬恩庵(今の一休寺)で最後を迎えます。



死の間際の一言は

「死にとうない・・・」

だったそうです。



何とも素直で、人間らしい生き方をされた方だなぁと、本当に憧れてしまう私です。

もしご興味がありましたら、一度伝記をお読みになることをお勧めします(^ω^)



以上ふくフクでした✨

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました<m(__)m>

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