彼女の行ってきた偉業は、他の誰にも超えられないもので、本当に本当に尊敬します。
昔よく面接で、尊敬する人の名前を聞かれたりすることがありましたが(今はきっとほとんど聞かれない質問ですよね~💦)、なんて答えようか面接の試験を受ける前には、すごく考えて準備してました。
その答えとして『父と母です』という答えが、優等生の答えだったりしましたが、私は断然『マザー・テレサ』と答えます。
マザー・テレサの何が尊敬に値するのか。
その思いを、今日は彼女の半生も綴りながら、お伝えしようと思います。
生まれたときの名前はアグネス・ゴンジャ。敬虔なカトリック教徒の両親を持ち、幼いころから神を敬う気持ちと、貧しい人々に施しをする気持ちを育んできました。
18歳になり、インドのダージリンに修道女となるべく、旅立ちました。
修練所でシスター・テレサという名前をいただき、カルカッタにある聖マリア学院に教師として赴任、学校長にまでなります。
裕福な子女が通う学校での教師としての生活でしたが、テレサはその学校の外で暮らす、貧しい人達のことが気がかりでした。
36歳の時に、避暑地であるダージリン行きの汽車の中で、聖書を読むテレサの耳に、神の声が届きました。
「ロレット修道会を出て、貧しい人達の中に仕えなさい」
このような宗教体験を経て、シスター・テレサはその声に従い、貧しい人々のために生きる道を歩み出しました。
貧しい人々は病気や怪我を負っている方が多かったので、怪我の手当や看病など、直接してあげられることをまず行っていきました。
そうして、貧しさから勉強ができない子どもたちのために、青空教室を開いて読み書きを教えました。
1950年にはインド国籍を取得し、「神の愛の宣教者会」を設立。このときからマザー・テレサと呼ばれるようになります。
同会の目的は「飢えた人、裸の人、家のない人、体の不自由な人、病気の人、必要とされることのないすべての人、愛されていない人、誰からも世話されない人のために働く」というもので、その精神に則り、会の活動は現代のホスピスのような「死を待つ人々の家」や、児童養護施設の設立、ハンセン病患者と家族のための「平和の村」の立ち上げなど、次々と広がっていきました。
「死を待つ人々の家」は、文字通り死が間近に迫った人が、心安らかに死が迎えられるようにケアする施設です。
しかし、現代のホスピスとはかなり違っていました。
道で行き倒れになった人や、病気であっても誰からも看病されない人など、貧困で身よりも無い、誰にも頼ることができない人達が安心して過ごせる場所でした。
この施設の設立のきっかけは、ある朝道で倒れていた婦人を、マザー・テレサが病院へ運んだところ「死にそうな貧乏人のためのベッドは無い」と断られたことでした。
何とか粘って診察してもらい、病院へ入れてもらいましたが、その日のうちにその婦人は亡くなったのでした。
「最期の一瞬だけでも人間らしく扱われ、心安らかで無くてはならない」
そのマザー・テレサの思いから「死を待つ人々の家」は設立されました。
その活動は最初は理解されませんでした。
カトリックの修道女が、ヒンズー教の地域で何かしようとしている、改宗させる活動ではないか、と周辺の住民もいぶかんでいました。
しかし「死を待つ人々の家」では人々をケアするときに、テレサはその人の信心していた宗教に合わせてお世話をしていました。
ヒンズー教徒の人にはガンジス川の水を口に含ませてあげて、イスラム教徒の人にはコーランを読んであげて、キリスト教徒には聖書を読みました。
そのようなテレサの誠実な活動を目の当たりにした住民たちから、少しづつ理解が得られるようになり、やがてテレサの思想と活動は全世界に広がっていきます。
と、いうところで今日は終わりにしたいと思います。
やっぱり長文になってしまう。
読みやすくするために、日にちを区切って何回かのシリーズにするパターンが多い私ですが、もし一気に読んだ方が良いな~、とか何かご意見、ご希望がありましたら、是非コメントを頂ければ幸いです。
ということで、マザー・テレサの続きはまた明日です(^ω^)
今日も長文をお読み下さって、ありがとうございました<m(__)m>
ふくフクでした。