マザー・テレサも大好きです③

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マザー・テレサについてちゃんと知ったきっかけ
マザー・テレサの活動は、世界中で認められ、様々な賞をもらうようになっていきました。

中で最も一番有名のは、1979年に受けたノーベル平和賞です。



実は、このノーベル平和賞を取った人ということで、私はマザー・テレサのことに興味を持ったといういきさつがあります。

恥ずかしながら、以前からマザー・テレサの名前は知っていましたが、何をした人か、まではまるで知りませんでした。

以前勤めていた職場の人が、ある時私にこんな話をしました。



「俺たちの仕事って、100点が無いんだよね。

だから、70点か80点目指して頑張って、頑張ったなりの成果が出て及第点としか言えないんだよ。

もし、最高点を付けてもらうとしたら、それはマザー・テレサみたいにノーベル平和賞を取ったときくらいなんじゃないかな。」



「俺たちお職場」とは、福祉の職場のことです。

当時私は、障がい者の方々が通う施設に勤めていました。



本当にそうなんですよね。



数学のようにしっかりした答えがある訳ではないので、福祉の仕事はどれが100点、という基準は無いのですよね。



でも、さすがにノーベル平和賞を受賞したら、文句なしに100点の活動、と思いました。


ノーベル平和賞 受賞
しかしながら、マザー・テレサもノーベル平和賞受賞の知らせを、すぐに受け入れる気持ちにはなれませんでした。

「私には受け取る資格はない」



でも、すぐその考え方を変えて、テレサは自分がこの有名な賞を受賞することで、世界中の人に貧しい人達の存在が知られるようになる、と考えて受賞することにしたといいます。

この考え方も、すごいことですよね!

常に貧しい方々のことについて考えていなければ、このような発想は湧かないと私は思いました。



テレサは授賞式には、普段と同じ白い木綿のサリー (民族衣装)と皮製の サンダル、という粗末な身なりで出席しました。



そして、賞金19万2000ドルは全て、カルカッタの貧しい人々のために使われました。

授賞式での晩餐会も「私のための晩餐会は不要です。その費用はどうか貧しい人々のために使って下さい」と要望しました。

また、ノーベル平和賞の賞金を受け取った時にも、心に残る名言があり「このお金でいくつのパンが買えますか」と聞かれたそうです。



そして、もっとも有名な名言が生まれます。

受賞のインタビューの中で「世界平和のために私たちはどんなことをしたらいいですか」と尋ねられたマザー・テレサの答えは



「家に帰って家族を愛してあげてください」



でした。



マザー・テレサ。私は懺悔します。

子どもたちには余りある愛を与えていますが、夫には仕事の稼ぎ以外、何も与えていません。

罪深い私を、お許しください~(;^ω^)💦



と、自ら自然と懺悔したくなるほど、マザー・テレサの言葉の持つ力はすごいのでした(笑)
最晩年まで活動をつづけたテレサ。最大限の敬意を表したインド政府。
ノーベル平和賞受賞後も、マザー・テレサは変わらない活動を続けました。

晩年、マザー・テレサは神の愛の宣教者会の総長を引退し、後継者としてインド人のシスター・ニルマラを新総長に選びました。

そして同年、8月26日。

満87歳の誕生日を元気に迎えて、9月5月の夜9時30分頃心臓発作のため亡くなられました。
マザーが天に召されたことを聞いて、数万人の市民がマザー・テレサの元にやってきました。

列を作り花束や花輪を持って悲しみ、この偉大なる人類の母のために祈りました。



インド政府はマザー・テレサの葬儀を国葬とすることを決め、マザー・テレサに最大限の敬意を表しました。

9月13日の国葬の日、マザーの棺は陸軍兵によって砲車に乗せられ、カルカッタ市内を約1時間かけて、国葬会場まで行進しました。

砲車はインド独立の時にイギリス軍から引き渡された歴史的な砲車であり、このような形での葬儀は、独立の父マハトマ・ガンジー、初代ネール首相につづき、マザー・テレサで3人目でした。



歴史的な偉業を成し遂げたマザー・テレサ。

私も毎日、ご高齢の方々のために頑張れる仕事をしていますが、マザー・テレサの足元にも及びません。



この記事をまとめさせていただいて、改めて、マザー・テレサの偉大さを実感することが出来ました。

せめて、マザー・テレサが教えてくれたことを、一日に一つでもこなしていって、自分の仕事に活かせるようにしたいな、と思います。

ここまでお読み下さって、ありがとうございました<m(__)m>

以上ふくフクでした(●^o^●)✨

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